ハーバード卒、外資系企業を渡り歩いたエリートは、なぜトランスコスモスに入社したか
ハーバード大学卒業後、数々の外資系企業を経て、2016年に入社した草埜健太(くさの・けんた)。彼は子会社SOCIAL GEARでCOOを務め、シンガポールを中心に世界を飛び回る日々を送っています。新天地でのスピード感に戸惑い、自身をさらに成長させようともがく草埜の姿と、その価値観の変遷を追いました。
目次[非表示]
ハーバードもキャリアも「他との差別化」で選んだ結果
▲2017年現在、本社執行役員と子会社SOCIAL GEARのCOOを兼務する、草埜健太(くさの・けんた)
草埜健太がトランスコスモス取締役CMOの佐藤俊介と知り合い、彼が手がけていたFacebook公認パートナー企業、SOCIAL GEARに誘われたのは2016年のことでした。
ー 草埜 「佐藤は、キャリアから言えば私とは『真逆』の存在。佐藤は学歴や肩書きに頼らずリスクを取って自らの道を拓き、私は学歴を頂点に堅い道を歩んできました。そんな彼の働きぶりに刺激されたのに加え、トランスコスモスという会社がとても魅力的に映ったんです」
草埜が家族と共に渡米したのは、日本にバブル経済が起きていた1980年代後半、10歳の頃です。当時は日本企業の海外進出が隆盛を極めた時期でもあり、草埜の父が勤めていた会社もアメリカに進出。駐在員に任命された父とともに、一家はオハイオ州の片田舎に移り住みました。
その後ハーバード大学を卒業した彼は、ITバブル真っ只中のボストンで、Web系プログラマー、ITコンサルタントとして活躍。2004年に日本に戻ってからも、外資系証券会社のトレーダーや信用格付会社のITディレクターなどを歴任していました。
そんな草埜がトランスコスモスにひかれたのは、ひとつに「変化を成し遂げられる気質」。日米で数多くの企業を見てきた草埜は、目先の業績向上を維持しながら将来を見据えて本当に企業が変わるのは難しい、特に社長の任期が短い企業はなおさらだと考えていました。
一方で、トランスコスモスはオーナー企業であることも手伝い、長いスパンで物事を考える文化がありました。そのうえスピード感もあり、草埜は「本気で変わろうとしている」姿勢をひしひしと感じ取ったのです。
もうひとつは、草埜自身が「アウトソーシング事業に未来を感じていたから」。グローバル化の進展により国際競争が厳しさを増すなか、企業は独自のコア・コンピタンスに専念し、イノベーションを起こし続けなければ生き残れません。
そこで、コアではないものの必須である業務オペレーションや、消費者マネージメントなどは、トランスコスモスのようなその分野のプロに頼ることが不可欠だと感じていました。
ー 草埜 「証券会社で働いていたとき、私の上司にとてつもない凄腕のトレーダーがいたんです。研修がてら私に画面を見せながら、淡々と利益を出していました。そんな人でも過去、もっと大きく儲けようと独立して自分のファンドを立ち上げようとしたそうですが、うまくいかなかったそうです。その理由は、経営に必要な諸業務のせいでトレーディングに集中できなかったからだと仰ってました。もしそうした業務を一貫して任せられる社員、またはアウトソーシングパートナーがいれば、結果は違っていたのではないでしょうか」
自ら“出る杭”となり、戦略的にハーバード大学へ
▲ハーバード大学卒業式にて(中央下が草埜)
草埜は、これまでの経歴の中で「他との差別化」を大きなテーマにしてきました。ハーバード大学へ進学することになったのも、そのテーマがきっかけでした。
ー 草埜 「10代のころはモテたい一心で(笑)。私はスポーツも音楽もできなかったけれど、勉強だけはそこそこできたので、『この道しかない』と出した結論がハーバード大学への進学でした。アメリカの大学は学力以外にも多様性を重視し、各学年の生徒層に『偏り』がないように幅広い人種、特性、育成環境の生徒を受け入れると知りました。当時の私は『理数系が得意で、スポーツはテニスをたしなむ、内向的な東洋人男子』というジャンルに属していましたが、このジャンルはライバルが多かったんです」
結果的に、「他との差別化」が図れないことから理数系での進学を選ばず、ヨーロッパ史やスペイン語を勉強し直し、コスタリカでホームステイをしたり、絵画、学校新聞、ア・カペラ、演劇、生徒会にも手を出したりして、「珍しい外向的文系アーティスト東洋人男子」として自身を売り込むことに。
とにかく「人との違い」で自分をアピールしないと選ばれない。自ら“出る杭”にならなければなりませんでした。
そんな努力の甲斐もあって、1995年、ハーバード大学は草埜を受け入れました。同学年に1,600人ほどの生徒がいましたが、日本国籍を持っているのはわずか4人ほど。当時家族が日本にいたのは草埜だけでした。
入学願書に書いた通り、入学後1年間は心理学を専攻として学んでいたという草埜。しかし、そこから時代が大きくうねりはじめます。
心理学は人工知能や画像認識といったITの領域とも接点がありましたが、アメリカはまさにITバブルに差し掛かっている時期。友人から「大金を稼げる」と聞いて興味を持ち、草埜はプログラミングに熱中していきました。大学でも、さっそくコンピューターサイエンスに専攻を切り替えます。
そしてドットコムバブルの頂点、1999年に卒業した草埜は、入社したドットコム会社で株式上場やその後の凋落までをひと通り経験。勤め先のボストン支店がなくなり、自身がリストラにあうこともありました。 その後、コンサルタントとして担当していたクライアントに雇ってもらう形で転職しました。
ー 草埜 「その頃、今は妻である彼女と出会ったのですが、彼女はビザが切れるため日本に帰ると言うので、私も追って帰国することにしました。日本の転職先は外資系で、引き続き英語で仕事ができ、職種もITでしたから全く無理は感じませんでしたね」
帰国後の転職先に選んだドレスナー・ クラインオート証券では、株式デリバティブのトレーディングシステム開発・保守を担当。いずれ花形のトレーダーのポジションにも就き、彼はますます活躍の場を広げていきました。
シンガポールで、「真逆」の男に惹かれた
▲トランスコスモス入社前の佐藤(右)と草埜(左)
2008年、草埜は世界最大手の信用格付会社であるS&Pへ転職し、シンガポール支社に移ってアジアパシフィック地域のIT代表者を務めるなどさらに躍進。
ー 草埜 「いずれ子どもに海外で教育を受けさせたいと思っていたところ、シンガポール支社にポジションができると聞いて移住すること決めたんです。そこで知り合ったのが佐藤俊介です。佐藤とは子どもが同じ幼稚園に通っていたパパ友でした」
アントレプレナーとしてリスクのある険しい道を選び、日本最大級のトレーディングデスク事業「エスワンオーインタラクティブ」やFacebookを活用したブランドビジネスの先駆けともいえる「satisfaction guaranteed」などで道を拓いてきた佐藤。
一方で、ハーバード大学卒業という学歴を頂点に、数々のバブルと共に堅い道を選んできた草埜。いわば「真逆のキャリア」を歩んできたからこそ、草埜はその生き方の違いを新鮮に感じました。
ふたりは、それぞれ別の仕事をしながら接点を持ちます。日本で事業展開を狙う外国人起業家が佐藤に相談する際に草埜が通訳として間に入ったり、佐藤が検討している海外の投資先・取引先候補との交渉を草埜が手伝ったりする機会がありました。その頃からお互い一緒に仕事をすることを意識するようになったのです。
ー 草埜 「佐藤のディール(案件) に関わるのは面白かったですね。まずスピードが速い。数千万円単位のディールをその場で描き、成立させようとする。そんな展開の速さを予想しなかった相手はタジタジ。しかし決して悪い話ではないから断るに断れない……。しまいには私まで遂行を手伝うということで、その中に組み込まれそうになりタジタジとなる始末(笑)。ただ、佐藤が興味をもつディールは未だこの世にない事業ばかりでしたので、とても新鮮に映りました。新しすぎて正直逃げたくなることもありましたけどね」
そして佐藤がトランスコスモスの取締役CMOになった2016年、草埜に声をかけて本当に一緒に仕事することに。その意思決定には、草埜の心境の変化も大きく関わっていました。
ー 草埜 「ずっと外資系企業に勤め、英語で仕事をしてきてそれなりに評価され責任ある立場をいただいたけれど、いつしか『本当に私でなくてはならない仕事なのか』と思うようになっていました。そんなとき、佐藤が口にした“特A(特筆する経験値・スキル)”という言葉に出会い、私はまた『他との差別化』を意識したんです。自分にとって特Aだと胸を張れることはなんだろうと考えたときに、シンガポールでの佐藤との日々が思い浮かびました。私にとっての特Aは『日本語と英語をまたぐところ』にあり、扱うものが複雑であればあるほど自分の価値が出せると思ったんです」
そして、トランスコスモスが強みを持つ「サービス」で海外展開に挑戦することも、草埜の心に火を付けます。
これまでに海外進出して成功しているトヨタ、ユニクロ、ソニーといった日本企業はわかりやすい「プロダクト」を出してきた。一方で、「サービス」は一見その価値がわかりにくいため、評価が難しい面があると草埜は考えていました。
しかしながら、日本のサービスクオリティは高く海外からも評価されています。トランスコスモスが提供する最新のデジタル技術を活用した、きめ細かな「サービス」を提供し、海外事業を展開していく——。
そのサポートを行い、確固たる価値を英語圏にまで広げていくことに使命感を覚え、草埜は自身の進退をかけてトランスコスモスの門をくぐることにしたのです。
社員それぞれの“特A”を活かせるポジションが、この場所にはある
草埜がトランスコスモスに転職して、2017年8月で1年がたちます。それまで名だたる外資系企業を渡り歩き、各所で高い評価を受けてきた草埜ですが、今は環境の変化に追いつくのに精一杯。トランスコスモスでは苦難につき当たることも、上司の佐藤から指摘を受けることもままあります。
ー 草埜「心境でいえば『機動戦士ガンダム』でアムロが先輩兵士に殴られるシーンに近い感じです。『親父にもぶたれたことないのに!』と(笑)。ただ、内容はすべてごもっともで、生産性が上がる、次につながる――厳しいけど正しい指摘ばかりです」
しかしそんな状況を、草埜は全力で楽しんでいます。
ー 草埜 「大変な思いばかりですが、本当に学ぶことも多いなぁと感じています。仕事面ではもちろん、人間としても面白みが増していくような気がしたり。働いてみて思うのは、トランスコスモスって、どんな科目でもそこそこのスコアが取れる“優等生タイプ”だけが求められる職場ではないんです。トランスコスモスは全体で4万人以上の従業員がいて、事業の幅も広いですから、『多くの分野では0点に近くても、一つの分野で1000点を取れる人』がぴったり来るポジションが必ずある会社です」
草埜は「やる気と能力があれば、どんどん仕事を振ってくれる会社だ」と、トランスコスモスのチャンスの多さを体感しています。
ー 草埜 「自分で関わってきたこと、新しく学んだことがトランスコスモスの事業につながり、それが多くの企業の進化を支援する……日本には世界に指名される『サービス』があることを示して、それに大きく貢献できることを証明したいと思っています」
何よりも今、トランスコスモスは変革期の真っ只中。草埜はそんななか、成功事例を作ろうと奮闘しています。彼が自身の殻をやぶって大きな成果を生み出す日は、そう遠い未来ではないはずです。