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トランスコスモスの営業として成長しつづける実業家一族出身の若き女性エース【PR Table】

創業59年の事業を営む実業家一族に生まれ、2018年現在トランスコスモス営業の若きエースとして腕を振るう神原祥子(かんばら・しょうこ)。創業者である祖父から受け継いだ思いとは何か、いかにトランスコスモスが彼女をエース営業に育て上げたか、そして神原が描くキャリアパスを解きます。


目次[非表示]

  1. 実業家一族に生まれ、社会福祉からトランスコスモス営業へ
  2. 上司や先輩に支えられ、営業エースへ成長
  3. トランスコスモスの組織力をフル活用し、より大きな仕事を
  4. 徐々に視野を広げ、尊敬する祖父のような経営者視点へ

実業家一族に生まれ、社会福祉からトランスコスモス営業へ

実家前で祖父に抱えられる幼少期の神原


今となってはトランスコスモス営業のエースとして活躍する神原ですが、2013年に新卒入社した当時は今の姿をまったく想像していませんでした。

神原 「大学では社会福祉士を目指していました。国家資格も取得し、卒業後に向けてさまざまな施設で実習を重ねていたのですが、本当にこれが自分のやりたいことなのか疑問に思うようになり、卒業直前で事業会社の営業職を探しはじめました。人と話す職業という共通点はありましたが、ほぼ真逆への方向転換だったので周りのクラスメートは驚いていました」

一方、トランスコスモスへの就職内定の報告を受けた神原の家族は同社の事業規模に感心し、非常に喜びました。

神原の実家は徳島県で創業59年の事業を営なむ実業家一族。創業者である祖父が小屋一棟からはじめ、一代で国内外に工場を構える企業にまで築き上げました。

だからこそ同じく西日本で創業し、神原が入社した2013年には国内外で売上1660億円まで成長した東証一部上場企業、トランスコスモスの偉大さを感じ取り、そこでなら神原が大きく成長できるであろうと期待を寄せていました。

しかし実業家一族に生まれたものの、神原自身が事業を意識しはじめたのは就職が決まってからでした。

神原 「私は4人兄弟の3番目で、上に兄もいたせいか、後継ぎとして事業を意識するようには育てられませんでした。周りと自分を比べずに、好きな道を歩むように言われていました。

唯一、祖父からあった仕事についてのアドバイスといえば、日本の中心である東京で働くことでした。『東京でしか接することのない人や会社、東京だからこその苦悩がある』からだと」

神原が社会福祉士を目指していたことにも家族は特に反対はしなかったものの、東京で働くことだけは強く勧めました。どんな道へ進もうとも、日本の政治、経済、文化の中心である東京ならではの規模、多様性、スピード感があること、東京だからこそさまざまな想いや野心を持った人が集まることを理解していたからでした。

神原が進学、就職先を東京に選んだ背景には、心から尊敬する祖父からのそんな言葉がありました。

上司や先輩に支えられ、営業エースへ成長

入社内定式の時の神原(写真中央)


神原がトランスコスモスに入社して配属されたのは、完全実力主義の新規案件開拓部署。門前払いが当たり前、工夫に工夫を重ねてやっと土俵に上がれるほどの難しい任務を課され、学歴・性別を問わずに同期同士で激しく競い合いました。

これまで、自分が事業会社に勤めることを思いもしなかった神原は、最初大きく戸惑いました。

面会を申し込んでも取り合ってもらえるのは稀、お客様と会えたとしても鋭い指摘に答えられず先輩社員に頼りきり、社内での事務処理でも手こずりがち、そのあいだに同期に差をつけられてしまうのではと心配する毎日でした。

そんな彼女を支えたのは、持ち前の負けず嫌いな性格と上司や先輩社員のフォローでした。

神原 「『新人時代のさまざまな経験が、その後の自分自身の成長の伸びしろを決める』と先輩に散々言われていたので、何事にも全力でした。飲み会のセットにしても、社内外の対応の仕方にしても、あの頃に培ったものが今の礎になっていると、強く実感しています」

担当していた業界についてはとにかく動いて多くの人と話して情報を集め、誰が誰とどうつながっているかを探り当て、会う人ごとに求められるであろうネタを常に準備するようになっていきました。

そうこう神原なりに試行錯誤を重ね、最初は見向きもされなかったお客様企業との面会が徐々に増え、顔と名前も覚えてもらえるようになり、神原は着々と受注件数を積み上げ、入社2年目には同期の中でも最上位の成績を収めるまで成長しました。

神原 「最初は先輩がいないとお客様と会話すらできなかった私がお客様先へひとりで出向いてニーズを引き出せるようになり、社内でも相談できる人が増えて、商談を一貫してまとめられるようになりました。結果お客様にも喜んでいただき、それを裏付ける数字もついてくる。自分の成長を強く実感でき、営業という仕事のやりがいや面白さのとりこになりました」

そんな神原をトランスコスモスは高く評価し、より大きな仕事を任せるようになり、神原は勢いに乗って活躍の範囲を広げていきました。

トランスコスモスの組織力をフル活用し、より大きな仕事を

日々同僚、後輩とのコミュニケーションは欠かさない(中央が神原)


入社5年目に神原は祖父からの言葉にあった、正に日本の中心である東京ならではの大型案件を受注します。将来的には海外展開も視野に入れたB2C直販ECサイトの構築、そしてローンチ後の商品受注、発送管理を含むすべての運用を請け負うグローバル複合型サービスです。

金額的にもこれまで神原が担ってきた最大案件の3倍以上、動かす部署もこれまでは多くて2部署だったのに対して今回は5部署、しかも過去にこのようなサービスを提供した実績のない業種という、大規模かつ複雑なハイリスク案件でした。

しかしここで、これまで神原が築いてきた社内ネットワークが大きく活きました。各分野における社内エキスパートを動員し、お客様のニーズを満たす最適なソリューションをひたすら追及。倉庫ひとつとっても、お客様がすでに持ち合わせていたB2B向け大口発送仕様のものを、先方のB2C直販ECで再使用する妥当性などを、自社での過去の運用経験を基に徹底的に分析しました。

神原 「いろんな工夫を必要とした、学びの多い案件でした。最終的にトランスコスモスならではの強みを全面に押し出して、お客様が抱えていた課題を解決し事業拡大に貢献できたことは大きな自信になりました」

そして見事うまくいったあかつきには、お客様はもちろん、社内で協力してくれたすべての人の元に自ら出向き、報告し感謝を伝えて回るのがメールやソーシャルでは絶対に味わえない幸せな瞬間――これこそが、神原が営業という仕事の魅力だと語ります。

徐々に視野を広げ、尊敬する祖父のような経営者視点へ

尊敬する祖父のような「経営者」の視座を持つビジネスパーソンとして成長する神原


2018年で6年目を迎える神原は、彼女個人の成果だけではなく組織レベルの成果もより強く意識するようになっています。

神原 「今まで自分が培った経験をもとに、今後は私自身が人と人を結びつける役割となり、さまざまな付加価値を提供するようなこともやりたいと思っています。お客様企業の課題解決に向けてはもちろん、それ以外にも社内の部門間の連携強化や若手の育成にも力を入れていきます」

プライベート面では、子どもを産むことも意識しはじめており、いずれは会社のサポート制度を活用しながら仕事と子育てを両立する予定の神原。より広い視野で周りを見るようになり、社内外での「仲間」を常に大切に扱うことを心がけています。

今は亡き祖父も一経営者として事業を拡大させながらも、旅行・出張から帰った際には必ず社員全員にお土産を渡すなどして、仲間を常に大切に扱っていました。そんなやさしい祖父が神原は大好きで、心から尊敬していました。

そんな祖父の意志を継ぎ、トランスコスモスならではの舞台で神原は今後もさらに大きく成長していくでしょう。


Text by PR Table

trans+(トランスプラス) 編集部
trans+(トランスプラス) 編集部
ITアウトソーシングサービスで企業を支援するトランスコスモス株式会社のオウンドメディア編集部。メンバーはマーケター、アナリスト、クリエイターなどで構成されています。

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